自己と自己同一について=I と myself との関係
(日本語においては「私(われ・わたし・ぼく・おれ・・・等の一人称)」しかないので 主語を省略できる)
(日本語においては「selfという発想はない と考えて話を進める)
英語では I と myself は 一人の人間のなかで 個別に存在していると考えられており
それらを 「 I が 成長するなりして自己を確立したときに到達する状態」を
アイデンティティ(またはアイデンティティの確立)と呼ぶ 従って「人格の成長」は 重要視される
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上記のような考えの違いはあるのだが
hikkiの場合は またちょっと それとも違うのである
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普通 人は 物を考えるとき あるいは決断をするとき 自分のこころのなかに
「そうしよう」 vs 「そうするのはよそう」 という単純に[正反対]の意見を持つ
たぶんこの考え方に反対する人はいないと思う
(しかし最近は この「二つの正反対の考えを持たない人」がいるかもしれない)
そこにたいていの場合「どうしよう?」と 考える のが一般的とされてきた
人が正しい倫理観を持っていれば 判断は容易に社会的に穏便な方を選ぶが
反社会的に強い意志を持っていると 不穏な方を選んだりする
だから 幼少のときからの 精神的教育が重要視されるのが先進国だと思う
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続く ・・・